《映画》SAW(ソウ)を見た感想!生きていることへの感謝とは?
生きている感謝よりも生きている喜びを感じて生きたい!
どうも。やづらです。
先日、「やづらのにちじょう」にて、超有名サイコスリラー映画「SAW(ソウ)」を見た感想を話す動画を公開しました。
それで、基本的に動画は一発撮りなので、言葉足らずなところもあったりするので、今回はその補足的な話を書いていこうかなと思います。
目次
作品の概要
作品名:
SAW(ソウ)
公開:
2004年
監督:
ジェームズ・ワン(James Wan)
脚本:
リー・ワネル(Leigh Whannell)
作品を見ていない人におすすめの動画
感想の話をしたいんですが、作品を見ていない人からしたら何のこっちゃ分からない内容になってしまいますよね。
できれば作品を見ていただきたいんですが、でも、内容が内容なので、興味はあるけど見るのはちょっと厳しいという方もいらっしゃるかなと思いまして。
そこで、そんな方におすすめの動画を1つご紹介しようと思います。
守鍬刈雄(すぐわかるお)さんという方の動画なんですが、イラストを使って紙芝居方式で作品を短くまとめてくれています。
なんとも言えない味のある画風で、ショッキングな内容も見やすくなっているので、映画を見るのは厳しいけど、内容は気になるという方は、是非こちらの動画を見てみてくださいね。
作品を見た感想
おおまかな感想はYouTubeの動画で話しているので割愛しますが、何とも言えないモヤモヤ感が残りまして。
凶悪犯罪を扱う作品って、もちろんそんなことをしちゃいけないのは大前提なんですけど、犯人はそれなりの信念を持っていることが多く、それによって作品のリアリティや説得力が増していきます。
でも、本作の犯人であるジグソウには、僕はそういった信念のようなものを感じられなくて。
公開から大分経っているので、少しネタバレ的な内容も書いちゃいますが、ジグソウは不治の病を患っていて、それをキッカケに「生きていることへの感謝」を忘れてしまった人達への苛立ちが募っていって、それを分からせるために「ゲーム」を始めたわけですよね。
ジグソウのゲームから唯一生き残った被害者に向けて「生きていることに感謝しない人ばかりだけれど、今日から、お前は違う」といった内容の言葉もかけています。
でも、その「生きていることへの感謝」を分からせるための方法に対して、僕は矛盾というか違和感を覚えてしまって。
ジグソウのゲームには、自分で自分を傷付けたり、誰かを傷付けたり、もしくは誰かを殺したりといった要素が含まれています。
でも、「生きていることへの感謝」を感じるためには、そんなことをしないといけないんでしょうか。
「生きていることへの感謝」っていうのは、そういう、相対的に感じるようなものなんでしょうか。
もちろん、頭がおかしくなっちゃったからそういうことをしているわけで、そんなことは頭にないんでしょうけど、それにしたって目的とやってることがチグハグというか、違うんじゃないかなと思うわけです。
もちろん、そんなゲーム自体やっちゃいけないことなわけですけど、それは置いておくとして、やるにしたってジグソウが分からせたいことを分からせるには、他の方法があったんじゃないかなと。
うーん…。
生きていることへの感謝とは何なのか
「生きていることへの感謝」は、別にこの作品に限らず、いろんなところで言われていることですよね。
「生きていることに感謝しましょう」とか言って。
でも、そもそも「生きていることに感謝する」って何なんですかって話で。
個人的には、ただ生きているだけで、その生きていること自体に感謝しなきゃいけないって、よく分からなくて。
普通に生きているだけでも大変じゃないですか。
結構しんどいことばっかり起きたりするじゃないですか。
そんな状況で、生きていること自体に感謝なんてできるかよ、っていう。
それに、単純に「生きていることに感謝」とか言ってる人がいたら、なんか胡散臭いって思っちゃいません?
僕は思っちゃうんですけども。
そんなことより生きている喜びを感じたい
しばらく考えたんですが、その結果思ったことがあって。
「生きていることへの感謝」より「生きている喜び」を感じられた方が良いよなぁ、と。
生きているだけで、生きていること自体に感謝なんかできないです。
もうね、そんなの無理。
でも、そんな中で、まぁ生きているなら少しでも楽しく生きられた方が良いじゃないですか。
それで、いろんなことをやったり、挑戦してみたりするわけですよ。
そうすると、少しずつ「こんなことができた!」とか「こんな人と出会えた!」とか、そういう嬉しいことがちょこっとずつ起きてくるわけです。
そういう中で喜びを感じていって。
それは、その場その場での、その出来事や出会いに対する喜びではあるんですけど、まぁそれも生きていたから味わえた喜びなわけで、直接的ではないにしろ「生きている喜び」とも言えるわけです。
「生きていて良かった」なんて直接的に感じられたら、それはそれで最高なんですけどね。
とりあえず、それを感じられるって、めちゃくちゃ良いじゃないですか。
「生きている感謝」なんていうよく分からないものを感じて生きろと言われたって「は?」って感じですけど、「生きている喜び」を少しでも感じられるように生きろって言われたら「確かに!」ってなりませんかね。
僕はなります。
ただ生きているだけで生きていることに感謝なんかしないし、喜びなんか感じないと思います。
でも、そこで自分が少しでも楽しくなるように、嬉しくなるように生きていくと「生きている喜び」を感じる瞬間はある。
しかも、その「生きている喜び」には、いろんな出来事や出会った人に対する感謝も付いてくると思うんですよね。
だから、僕は「生きていることへの感謝」じゃなくて「生きている喜び」を感じられるように生きたら良いよなぁと思ったわけです。
おわりに
見終わって残った違和感がすごかったので色々考えちゃったんですけど、僕の最終的な「SAW」を見た感想としては、「生きている喜びを感じられるように生きた方が良いなぁ」という感じになりました。
なんだか大分違った方向にぶっ飛んじゃった気はしますが、まぁそういうところに落ち着いちゃったから仕方ないですね。
生きていることに感謝するために、痛みや誰かの死が必要だとしたら、その感謝は大分歪んじゃってると思うぞ。
ジグソウさんよぅ。
ではまた。
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